樹木と絵画の交差点 -自然へのまなざし-

樹木と絵画の交差点
 

 

古今東西の画家が描いた樹木作品には、自然を見つめる自由なまなざしが宿ります。自然に向き合う画家たちの柔らかい感性は、今を生きる私たちの日常にも価値ある教えをもたらしてくれるかもしれません。

第15回 ~俵屋宗達とマツ~

俵屋宗達は、江戸時代初期に活躍した絵師です。代表作「風神雷神図屏風」にはどこかお茶目な表情の風神・雷神が登場し、生き生きと画面に躍動します。その表現は現代を先取りしていて、天才性を感じずにはいられません。一度見たら忘れることのできない傑作です。一方で樹木を描いた作品は繊細な感覚が冴えていて、職人としての技量の高さと研ぎ澄まされた感性が認められます。宗達の見事な作品世界を見ていきましょう。

画家たちに尊敬される偉大な画家

俵屋宗達は安土桃山時代に生まれ、江戸時代の初めには京都で掛け軸や屏風、扇、本などの制作を手掛ける人気店「俵屋」を営む町絵師で、絵師のほかに修復士、工芸士も兼ねていたといわれます。亡くなってからしばらくの間、宗達の画業は一般的には忘れられていたため、残された資料が少なく謎の多い画家です。しかしながら時を経て、宗達の遺した作品は世代を超えたさまざまな絵師(画家)に影響を与えています。江戸時代中期以降には尾形光琳が宗達の作品に触れて私淑し、さらにその光琳に酒井ほういつが影響を受け、ともに秀でた作品を残しました。明治時代以降は近代日本画の作家※注1や洋画家にもインスピレーションを与え続けています。

風神雷神図屏風(17世紀前半)二曲一双 建仁寺蔵 国宝

広い余白を挟んで対峙し、強いエネルギーを発している風神(右)と雷神(左)。的確な筋肉の描写やポーズ、たなびく衣などが歌舞伎の「見得」のように決まっています。雷神の小太鼓や雲、風神の雲や衣が画面から切れていることによって空間が広がって見える、というトリミングの技が効いており、線や形のおおらかさと構図や配置の用意周到さが融合して、宗達独自の世界をつくっています。この絵が描かれた約100年後に宗達を再発見した尾形光琳がこの絵を模写、その約100年後に酒井抱一が光琳の絵を模写して※注2、宗達の系譜をつないでいます(「琳派(りんぱ)」)。宗達の作品は優美かつ大胆な画力で現代の私たちも魅了します。

左図:白象図  右図:唐獅子図(1621年頃) 杉戸絵8面のうち2面 養源院蔵 重要文化財

京都市東山区にある養源院は、豊臣秀吉の側室淀殿が、父浅井長政の供養のために建立した寺院です。その再建の際、杉戸8面に描かれたうちの2面。この奇抜な絵が高名な寺院に描かれ受け入れられたのは、桃山文化の豪奢な気風の名残りもあるでしょうか。
白象と獅子が頭を下にして杉戸の枠いっぱいに躍動していて圧巻です。特に白象は、卵型にデフォルメして描かれていて、宗達独特の感性が面白いですね。単純で力強く生き生きとした宗達絵画の真骨頂です。

繊細で雅やかな樹木表現

宗達は本阿弥光悦とともに、和歌の料紙を美麗な下絵で美しく彩る合作、今でいう “書と絵のコラボレーション” で、平安時代に盛んだった料紙装飾を江戸時代のはじめに復活させました。古今和歌集などの世界を、季節の風情を通して洗練された感覚で描きました。晩春から夏の歌にはツツジやアオヅタを、秋の歌には秋草に巨大な下弦の月を配置しました。そして光悦は自由闊達な書でそれに応えました。選ぶモチーフや描き方、余白の取り方など、2人のハイセンスな趣向の競演です。この共同作業によって宗達は繊細な感性を磨いたのかもしれません。宗達筆の大画面の屏風絵(下図:「槇檜図屏風」)でも、自然と対峙したときに得られる感動を鋭い感性で表現しています。

左図右図:四季草花下絵和歌巻(部分) 俵屋宗達(下絵)、本阿弥光悦(書)
(17世紀前半)畠山記念館蔵 重要文化財

槇檜図屏風(部分)(17世紀前半) 六曲一双 石川県立美術館

奥に小さめのヒノキ、手前にマキのアップを重ねて配置しています。手前のマキは葉のクローズアップで拡大し遠近感を強調して描かれており、まるで林の中で葉や風の音を体感しているような幻想的な感覚が迫ってきます。細かい金箔を撒いて描いた柔らかい背景のトーンが優雅で綺麗です。葉は水墨で的確に描かれていて、ところどころ葉の部分に藍を混ぜて、墨の色調にニュアンスを加える工夫がなされています。

雑木林図屏風(部分)(17世紀) 六曲一双 フリーア美術館蔵
※伊年印

ホオノキ、マキ、コナラかと思われるたくさんの広葉樹・針葉樹が描かれています。写真かと見違えるばかりの細密描写です。的確な描写によって樹木間の遠近感がクリアに表現されていて、近代に描かれた絵といわれても信じてしまいそうです。この絵がモダンに見える理由は、根元を描かない構図により、植栽状況の説明を省略して細密描写に集中していること、緑色のニュアンス(色彩感覚)が洗練されていること、などでしょうか。
※「伊年印」とは宗達が始めた俵屋派のしるしとして押された印で、宗達以外の後継の弟子の作品にも「伊年印」が確認されます。この作品は宗達工房の弟子作の可能性が高いといわれています。

ユーモラスなマツ

1621年頃、江戸幕府第二代将軍徳川秀忠夫人・お江は、姉・淀殿が創建した浅井家の菩提寺、養源院焼失後の再建を行いました。宗達の工房は養源院内装画の制作を請け負います(前掲「白象図」「唐獅子図」の解説)。桃山時代の空気を感じて育ったであろう宗達は桃山の巨匠狩野永徳や長谷川等伯の金碧障壁画を意識して制作したことでしょう。この松図襖にも桃山の気風を受け継ぐ意気と華やかさが感じられます。マツの金碧画は武将や大名が好んだモチーフで、他の絵師たちが描いた絵もたくさんありますが、この絵は量感たっぷりのマツの存在感と人間臭いユーモラスなかたちに、宗達の個性が色濃く表れています。

松図襖(部分)(1621年頃)12面のうち4面 養源院蔵 重要文化財

養源院松の間の内部をぐるりと取り囲むマツの襖絵。マツの老木は幹がうねっており、全体が左方向にしなっていますが、かろうじて踏みとどまっている緊張感があります。一方でごつごつしたマツの幹が人物のようにも見えてどこか可笑しみがあります。マツ葉の塊がリズミカルに配置され、その一つ一つが丁寧に描かれていて、画面の中のマツが今にも動き出しそうに見えて不思議です。力強く堂々とした宗達の個性が魅力的な作品です。当時は狩野派の独壇場だった障壁画制作に、町絵師出身の宗達が新たな画風を打ち出しました。

マツについて

「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんを始め、時代劇や時代物の小説で登場人物が旅をする場面には“街道に松並木”がつきものですね。日本人のこころに染み付いた、そのイメージの根拠を探ってみましょう。

江戸幕府の祖、徳川家康は諸国の街道の整備に重きを置きました。二代将軍秀忠はそれを引き継ぎ、五街道の整備で以下のことを命じます。①道路の標準幅員は約9mとする、②一里ごとに塚を築く(一里塚)、③並木を植える。昔から街道の整備と並木植栽はセットだったということが分かります。また、道中奉行(=五街道の監督や整備担当役)が設けられ、その後江戸時代にはいくつかの並木管理の法令が出されています。史料には道中奉行への質問が残っています。「東海道(愛知県豊川市)の松並木20本に“松虫”がおびただしくついて枯木になり、どうしたらよいか」との問い合わせには「伐採処置と新しい苗木の植え付けを進める」と回答しており(「五街道取締書物類寄」弐拾之帳)、昔も現在も樹木管理で虫に悩まされる点は変わらないようです。1691年と1692年の2回、長崎~江戸間を旅したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルの「江戸参府旅行日記」には、街道には旅行をする人で溢れていることや、マツが両側に植栽してあり木陰で旅行者が休めるようにしてあること、簡単な構造の排水口があり、低い畑地に流れるようになっていることや、雨水を防ぐために土堤が高く築かれていることが記されています。

撮影場所:草加松原(埼玉県草加市)

ケンペルが江戸を旅した少し前(1689年5月)には、俳人松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅、奥羽・北陸のいにしえの歌枕をたどる旅に出ました。芭蕉が過ごした元禄年間は、経済発展に支えられて庶民も比較的安全に旅ができた平和な時代だったのです。芭蕉は弟子の曾良を伴い深川(東京都江東区)の「さい庵」から出発し、水路で1つ目の宿、千住で船を降りて歩き始め、約5か月に及ぶ長い道中をスタートさせます。この日光街道の2つ目の宿場町、草加宿のクロマツ並木は現在も「草加松原」として保存されています(国指定名勝)。 ” 旅の詩人”、” 漂泊の俳人”ともいわれる芭蕉は江戸後期の葛飾北斎、明治初期の月岡芳年と当代を代表する絵師たちの画題として取り上げられており、いずれも柔和な顔貌で描かれています (下図:「松尾芭蕉像」)。

松尾芭蕉像
(左:葛飾北斎筆、右:月岡芳年筆)

クロマツの雄花・雌花
撮影場所:夢の島公園(東京都江東区)

※注1

明治の近代日本画の巨匠速水御舟は、宗達の作品に感動して雅号を「御舟」と付けた。源氏物語をモチーフにした宗達の「関屋澪標図屏風」という作品の中に「明石の君」を乗せた船が描かれており、その“船”を“御”するという意味で「御舟」とした。 もう一人の近代日本画の巨匠、安田靫彦ゆきひこは宗達作品のコレクターだった。

※注2

尾形光琳による宗達「風神雷神図」の模写

酒井抱一による光琳「風神雷神図」の模写

≪参考資料≫
「もっと知りたい俵屋宗達-生涯と作品」村重寧著 東京美術 2008年(アート・ビギナーズ・コレクション)
「俵屋宗達 琳派の祖の真実」古田亮著 平凡社 2010年(平凡社新書518) 
「俵屋宗達」奥平俊六著 新潮社 1997年(新潮日本美術文庫5)
「江戸参府旅行日記」エンゲルベルト・ケンペル著 斎藤信訳 平凡社 1979年(東洋文庫303)

≪参考URL≫
をちこちMagazine ワシントンDCを魅了した宗達の波
https://www.wochikochi.jp/special/2016/01/tawaraya-sotatsu.php (参照2021-3-12)
国土交通省関東地方整備局横浜国道事務所HP 東海道への誘い 東海道Q&A 街道について
https://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/02_tokaido/04_qa/index3/answer3.htm(参照2021-3-12)
国土交通省HP 道の歴史 近世の道 五街道の道路整備と維持管理
https://www.mlit.go.jp/road/michi-re/3-2.htm (参照2021-3-12)
神明社HP 保土ヶ谷郷土史 東海道松並木 街道並木の歴史
https://www.shinmeisya.or.jp/rekisi/matunamiki.html (参照2021-3-12)投稿日: 2021年8月6日

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